出雲大社の由来・歴史

出雲大社三神教会の由来・歴史

出雲大社(御本社/島根県出雲市)

 出雲大社(御本社/島根県出雲市)は、神代に創祀創建されたとの伝承をもつ我国最古の神社として全国的に知られ、 平安時代では「天下無双の大廈」「日本国中第一の霊神」と称えられています。

 大国主大神の御鎮座する出雲大社は、伊勢神宮と並び、我国神社界の二大双璧であり、これは両者独自の格式をもち伝統を伝えたことに由来します。

 出雲大社の御祭神「大国主大神」は、神代の昔、この日本の国土を「少彦名神」とともに開拓され、建国に大きな功績をお立てになりました。大神は国づくりの大業を完成させると「天照大御神」にこの国土を国譲りされました。

 このご功績により国土の守護神・大地主大神として仰がれています。また、「神事」「幽冥の世界」を司り、ご守護御導き下さる幽冥主宰の大神として、御神徳は広大無辺なるものがあります。 「大国主大神」は古くから今の世に至るまで「ダイコク様」と慕われ、幸せの縁を結ばれる「むすひの大神」と敬仰され福の神、農工商業・漁業・医療医学の神としても篤い信仰をおうけになっております。

出雲大社三神教会(出雲大社恵庭)

 出雲大社三神教会(出雲大社恵庭)は、出雲大社の大神様の御神徳を1人でも多くの方に弘布すべく、昭和43年4月に島根県簸川郡大社町の出雲大社御本社より、三神講社(夕張)として設立され講社分霊を奉斎。

 昭和45年10月には教会に昇格し教会分霊を奉斎。さらに、昭和49年10月に当地恵庭の御神殿に大神様の御分霊を奉斎し、御鎮座されている御社であります。

 平成22年10月には設立40周年(三神教会開教55年)を迎えました。

 常日頃よりひとりでも多くの方が出雲大社の大国大神様を慕い敬い、大きく豊かな心をもって生活が営まれますようお祈り申し上げております。なお、三神教会の名前の由来は設立当初「大国主大神、事代主大神、天照大御神」の御三神の神様をお祀りしたことから始まり、縁結び、招福開運、商売繁盛、金運隆昌、病気快癒、交通安全、災難除けの神社として参拝されております。

出雲大社の歴史

 昔から「神宮」といえば「伊勢神宮」、「大社」といえば「出雲大社」を指すようにあまねく全国に知られています。
また、「天下無双の大廈」「国中第一の霊神」と言われ、御神徳が高く日本最古の神社であります。 古代(上古)において、出雲大社(いずもおおやしろ)(旧官幣大社)は、高さ96mと伝えられており、平安時代でも48mの高さがあり東大寺大仏殿を凌いでいたともいわれています。

 また、建築様式は日本最古の「大社造り」で日本書紀では『天日隅宮(あめのひすみのみや)』、出雲国風土記では『所造天下大神之宮(あめのしたつくらししおおかみのみや)』、さらに平安時代の『延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)』では『杵築大社(きづきのおおやしろ)』と記されています。

 平成12年には建設にともなう事前調査時に、出雲大社境内から勾玉などと共に、巨大な宇豆柱(1本約1.4m の柱を3本束ね)が発掘された。「金輪造営図」にある1248年造営の神殿ではないかと期待が高まりました。


《本居宣長記念館『雲太』の中で下記のように書かれています。
源為憲作の『口遊』に、「雲太、和二、京三【謂大屋誦】今案、雲太謂出雲国城築明神神殿【在出雲郡】。和二謂大和国東大寺 大仏殿【在添上郡】。京三謂大極殿、八省」と言う記述があるが、これは当時の大建築の順位を表したものだと言われ、出雲大社 の古伝では平安時代の中古の出雲大社本殿は高さ16丈あり、その平安時代末頃の平面図が残る。 3本柱を金(カネ)の輪で縛るので「金輪造営図」と呼ばれるこの図を最初に紹介したのが宣長である。
 また、『玉勝間』巻13「同社(出雲大社)金輪の造営の図」に『出雲大社、神殿の高さ、上古は三十二丈あり。中古には十六丈あり。 今の世のは八丈也。古の時の図を、金輪(カナワ)の造営の図といひて、今も国造の家に伝へもたり、其図、左にしるすが如し。此 図千家国造の家なるを、写し取れり。心得ぬことのみ多かれど、皆ただ本のまゝ也、今世の御殿も、大かたの御構は、此図のごと くなりとぞ』と書かれている。

 長さ1町の階段といい、高さ32丈とか16丈といわれても想像のつかない規模である。しかも三本柱が一本に金の輪で縛られるなど誰の目にも荒唐無稽な話であった。だが、宣長はその伝承に疑問を持ちながらも、真実が含まれるのではないかと借覧して、そして『玉勝間』に載せた。そこに描かれているのは、高さは16丈(48.5m)の社殿である。

 また、「引 橋(登り桟橋)長一町(109m)」とある。長さ1町の桟橋に適当な勾配をつけると、高さ16丈に見合うものとなる。建築史家・福山敏 男氏は、それをもとに復元図を作成した。しかし、その図面を見た多くの建築史家は、構造上実現不可能と考えていた。 宣長の想像が的中し、金輪造営がほぼ真実であったことが判明したのは、200年以上たった、実に近年(2000年)のことである。

 出雲大社境内拝殿と八足門の間の、地下0.5~1.5mから平安時代末と考えられる巨大な本殿跡の一部が確認された。 発見されたのは、推定幅約6mの細長い柱穴一箇所(1号柱穴)、同4m以上の柱穴一箇所(2号柱穴)で、1号柱穴には柱材(長 径1.35m)三本を一本に束ねた、直径約3mの柱(1号柱)の根本部分が遺存していて、これは平面図と同じである。三本柱を束 ねた直径1丈(3m)のものであることから、平面図の信憑性が高まり、高さ16丈説が有力となった》と記載されている。

※「口遊」源為憲作:天禄元年〔970年〕にまとめたもの。藤原為光の子松雄君のための基礎教養書
※「出雲大社の口伝では、上古32丈、中古16丈、その後8丈という。1丈は3.0303m」

【参考文献】

  • 本居宣長著 玉勝間13巻
  • 本居宣長記念館「雲太」 ホームページより抜粋
  • 『出雲大社の本殿』出雲大社社務所
  • 『古代出雲大社の復元』-失われたかたちをもとめて-(増補版)』大林組、学生社
  • 『出雲大社』第八十二代出雲国造千家尊統著 学生社

「大國主大神様」別名

  • 大穴牟遅神(おおなむじのかみ)
  • 大己貴神 (おおなむちのかみ)
  • 葦原色許男神 (あしはらしこおのかみ)
  • 八千矛神 (やちほこのかみ)
  • 宇都志國魂神 (うつしくにたまのかみ)
  • 大國魂神 (おおくにたまのかみ)
  • 奇雍魂神 (くしみかたまのかみ)
  • 大物主神 (おおものぬしのかみ)
  • 倭大物主奇雍魂神 (やまとおおものぬしのくしみかたまのかみ)
  • 大地主神 (おおとこぬしのかみ)
  • 天下地主神 (あめのしたとこぬしのかみ)
  • 顕國魂神 (うつしくにたまのかみ)
  • 所造天下大神 (あめのしたつくらししおおかみ)
  • 大三輪大神 (おおみわのおおかみ)
  • 出雲大神 (いずものおおかみ)
  • 杵築神 (きづきのかみ)
  • 出雲御蔭大神 (いずものみかげのおおかみ)
  • 大國作神 (おおくにつくらししかみ)
  • 縁結神 (えんむすびのかみ)
  • 福神 (ふくのかみ)
  • 農耕祖神 (たづくりのおやがみ)
  • 神幽冥事知食大神 (かみかくりよしろしめすおおかみ)
  • 幽冥主宰大神 (かくりよしろしめすおおかみ)

参考文献/日本書記、古事記、出雲国風土記、出雲国造神賀詞、古語拾遺、万葉集、先代旧事本紀、文徳実録、伊豫国風土記逸分、播磨国風土記、土佐国風土記、その他